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​私自身について

こんにちは 愛みちこです

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私の出身

私の生まれた愛家は、日本橋箱崎町の出です。

箱崎町は酒や調味料を扱う河岸がありました。家業は酒関係でした。家墓は築地本願寺の末寺にあります。

「愛」という姓は珍しいですが、日本橋の名前です。

私は1963年(昭和38年)、両親が住んでいた錦糸町で生まれました。

​中学校からは、千代田区神田の共立女子学園へ。短大家政科までを卒業しました。

得意科目は理科と体育、クラブ活動はバレーボール部でした。

​主な経歴

メーカーに就職後、主に商品企画に携わりました。学んでいた英語と中国語も活用し、通訳も務めました。香港に海外赴任する機会にも恵まれ、英語、北京語に加え、広東語も使い、アジア一帯と欧米とのビジネスに従事しました。

 

香港は中国返還前で、活発なビジネス以外にも、日本と異なる社会の構造や価値に関心をもち、帰国後に香港に関する勉強を始めました。

 

東京大学大学院が社会人入試を始めた年に、香港の地域研究をするために受験し、入学が許されました。大学院では「現代香港史」と「移民」をテーマに研究し、素晴らしい師のおかげで博士課程を修了、2003年「博士(学術」を取得、博士論文は『香港返還と移民問題』として出版しました。

 

大学院在学中から、大学で講義をもちました。主な科目は「国際関係論」「政治学入門」「現代社会論」「家族論」「世界史」「文章作成」「中国語」などです。

現在、千代田区の共立女子大学、厚木市の神奈川工科大学で講師をしています。

大学の仕事について1点付記します。講師の仕事に打ち込んでいますが、私の身分は「非常勤講師」です。ここから問題意識が芽生えました。同じ大学教員であっても、常勤教員と非常勤教員との間には10倍もの手当の差があると言われています。この仕事を愛しながら、他方こういう理不尽に晒された経験が、私の行動を後押しする1つになったと思います。

​私の使命

都市の環境と歴史を守る

2020東京五輪前とその後の、無暗な工事合戦を目の当たりにして、

一旦壊したら取り返しのつかないもの、二度と戻らないものについて、

強い問題意識を抱いています。

 

それは自然であり、歴史であり、人や組織の信頼でもあります。

具体的には、街の街路樹や公園木、水辺や原っぱ、

地域の記憶や行事や各種資料など

どれも地域の環境と歴史を支える宝です。

 

これを放置したら、無くなるのは明らかです。

 守ってきた先人たち、手渡すべき将来の人々、

そして地域に誇りをもつ私たちのため、

​地域の宝を守り、受け継いでいく、自然と与えられた使命です。

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